「ものがたり」、言い換えれば「物の語り」。そういう言葉で1000年ころに日本人は散文の作品を呼び始めたそうだ。どうして「もの」は日本文学の必要不可欠な基本になったか、なお、どのようなふうに日本の散文は「もの」から発しても、詩趣とリリシズムに達するかについてナポリ東洋大学の日本文学教授と吉本ばななや村上春樹などのような世界中有名な作家の翻訳者のアミトラーノ・ジョルジョは述べる予定。
「ものがたり」、言い換えれば「物の語り」。そういう言葉で1000年ころに日本人は散文の作品を呼び始めたそうだ。どうして「もの」は日本文学の必要不可欠な基本になったか、なお、どのようなふうに日本の散文は「もの」から発しても、詩趣とリリシズムに達するかについてナポリ東洋大学の日本文学教授と吉本ばななや村上春樹などのような世界中有名な作家の翻訳者のアミトラーノ・ジョルジョは述べる予定。
3月18日(木)夜8時半にCome alla corte di Federico (www.comeallacorte.unina.it/ [2])(フリードリヒ2世の王宮のように)というナポリのフェデリーコ二世大学が催した連続講演(一般公開)の際に、ゲストとしてナポリ東洋大学はMessaggerie Orientali(東洋の使節団)という講演を行う。
卵城の真前にあるパルテノーペ通り会議室で、アミトラーノ教授は、主に村上春樹の「ノルウェーの森」の成功を参考にして、なぜ現在日本人の作家は西洋でも流行っているかについて講演する。
現実逃避せずに、現実的な出来事から夢想できること。それは現在の日本の小説の秘密であろう。最も代表的な文章を通じて、アミトラーノ教授は現在の小説の具体的事実と詩的なところの深い関係について発表する。「《ノルウェーの森》の著書者の場合は、現在の世界に基づく、大きいな想像上のものがたりというパラドックスも見られる」とアミトラーノ教授が説明した。
フリードリヒ2世の時代には、好奇心あふれる学者が大勢集王宮に住み、みんなが自分の専門に限らず、様々な分野に関心を持っていたそうだ。そのとおり、この連続講演でも、後のフリー・トーク、問答会は大事なポイントになっている。
最後に、講演者と聴衆は、知識欲を満足させてから、フェデリーコ二世大学が催す宴会で食欲も満足させることができる。精神的な世界は具体的なことを度外視しなくていけないのを忘れられないためであろう。
Trad. Fabiana Andreani - © Università degli Studi di Napoli L’Orientale
Amitrano [6] Giappone [7] Haruki Murakami [8] Monogatari [9]
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